昭和40年生まれのブログ

この世に生まれて半世紀を過ぎ、好きだったテレビ・音楽・マンガ・芸能人のコト、面白かった出来事なんかを振り返っていきたいと思いました。飽きっぽい性格ゆえに内容はブレブレですが…。母S8,姉S35,娘S62,息子S63,孫H27年生まれ。

共同便所

 昭和40年から10年間、共同便所の家に住んでいた。うちは突き当りの2階だったので便所は階段を下りて10歩ほどの所にあった。右手には小さな庭があって昼間はそこで遊んだりできるけど、夜はとても怖い。なので夜の便所は母についてきてもらってた。冬場は寒いからと階段の上で座って待ってくれたが納得できない。どんなに寒くても下までついてきてドアを開けて用を足し終わるまで見ていてほしかった。無駄に広いボットン便所は上も下も後ろも怖い。

5歳の時に母が入院してしまった。5つ上の姉は市場で惣菜を買う係になった。母の代わりに父が仕事前に保育園に連れて行ってくれるけど、行きたくないと道端で座り込んだ。環境が変わった不安からか私は夜ごと姉の耳たぶを触り続けて眠った。ある日の夜中便所に行きたくなったが、お荷物なりに迷惑をかけたくないと思ったのか、母に偉かったねと褒めてもらいたかったのか、私は1人で便所に向かった。そして下りた途端、見てはいけない右を見てしまった。恐怖がこみ上げ悲鳴に似た大泣きをしてしまい、家族どころかご近所にも迷惑をかけた。

あの便所はトイレとかハイカラな名前の代物じゃなかった。今あったとしても多分1人で行けない恐怖の共同便所。